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| /////////////////////////////////////////////近代和風・数寄屋造り |

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数寄屋建築の歴史は今から500年以上前にさかのぼります。日本の歴史上では中世、室町時代、北山文化の頃に茶室、茶会が良く行われるようになり、 室町時代の歌人 正徹(1381〜1459)の『正徹物語』に「歌の数寄に付きてあまた有り。茶の数寄にも品々あり。先ず茶の数寄と云う者は、茶の具足をきれいにして、建盞・天目・茶釜・水差などの色々の茶の具足を、心の及ぶ程たしなみ持ちたる人は、茶数寄也・・などとこの頃から数寄(風流を好むの意)という言葉で言われるようになりました。 |

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そして東山文化の頃には貴族の建築であった書院造りが住宅として普及し、書院飾りが流行しました。 床の間などもこの頃から始まったとされます。その後、数寄な茶道具と共に、床脇などに様々な飾り付けがなされましたが 村田珠光は当時庶民的だった「地下茶の湯」の様式を取入れ、大徳寺の一休宗純から学んだ禅の精神を加味して、精神的・芸術的内容をもつ茶道を作ります。それから珠光は、4畳半の座敷にする事で余計な装飾を無くし少人数で心を通じ合える場を設け、派手な装飾をやめ茶杓や台子など竹などの自然美な物に変え侘びの精神を広めました。 |

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珠光の後、武野紹鴎によって面格子や天井格子など竹に変え、壁を土壁にし、 畳に囲炉裏を切るなどと試行錯誤の末、侘び茶が完成し、時代は戦国時代となり、 明ける日も戦の混乱の中、武将たちは安らぎの場、心を許せる場を求め、茶を愛し、挙って茶道具を集めました。
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茶の湯は武野紹鴎の弟子となって茶を学んだ千利休によって茶道となり、桃山時代には茶会も頻繁に行われ、各地で茶室が作られるようになりました。 茶室の入り口は狭く甲冑(鎧)や脇差(刀)を着けたまま入る事はできず、戦国の世の武将達にとって逆に安らぎを感じ、宇宙に似た空間を覚えたのでしょう。 のちに豊臣秀吉の命によって千利休が造ったとされる国宝の黄金の茶室の頃に、 数寄屋建築が完成されたと言われています。 |

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